
【プロレス蔵出し写真館】参院選が7月3日公示、同20日投開票の日程で行われることが確定的となった。候補者として、自民党が大仁田厚元参議院議員の復党の可否を問う党紀委員会を開催する方向という、5月初めに流れたニュースには驚かされた。その可能性はなくなったようだが…。

〝邪道〟大仁田厚は今から23年前の2001年(平成13年)7月29日、第1次小泉内閣発足後、初の国政選挙となった参院選に自民党比例代表候補として出馬、圧倒的な支持を得て当選した。

大仁田は熱心に教育改革を訴えていたが、選挙公約のひとつが「当選したらアントニオ猪木と闘う」というものだった。
当選後、東スポの直撃に「オレが猪木さんのリングのPRIDEに乗り込むよ。ルールもPRIDEルールでいい。それで馳(浩=当時、自民党の衆議院議員)選手にレフェリーをやってもらって、収益金は国民のために使う。やってくれるなら小泉純一郎首相にコミッショナーに就いてほしい。若者に夢を与えるのが議員の仕事だよ。オレは議員になっても、猪木さんを追い詰めることはやめない」と宣言し、紙と筆を用意して猪木への〝挑戦状〟を書き上げた。
翌月2日には、猪木から届いた当選を祝う電報を手に「大人として正式に返答をいただきたい」と迫った。
さて、大仁田が行動を起こしたのは03年12月31日、神戸ウイングスタジアムで行われた「INOKI BOM‐BA‐YE 2003(猪木祭り)」だった。大仁田は会場に現れ、猪木と対面した。猪木は笑顔で大仁田を迎え入れ、ガッチリと握手を交わして(写真)〝闘魂ビンタをプレゼント〟した。
猪木は「プロレスラーとしては評価しないが、彼のパフォーマンス、必死な生きざまはすごい。(対戦要求?)交わらないよ! 目指す夢が違うから。彼は政治家として夢を与える立場。オレに『夢を与えてください』という前に、自分が国民に与えるべき」と一蹴した。
大仁田が猪木に執ように対戦を迫るようになってからの直接対面は、1994年(平成6年)1月3日、フジテレビ系「これが日本の正月だ!超ワイドショー決定版」に猪木が生出演した時以来だった。
この時は、東京・世田谷区の多摩川河川敷で、翌4日(東京ドーム)の天龍源一郎戦に向けてトレーニング中の猪木を、大仁田が訪ねた。
大仁田は「猪木さん、僕との試合はどうなりましたでしょうか? 電流、地雷、時限爆弾のどれでもいいです」と尋ねると、猪木は「オレも電気には強い方だから。いつもヒザの痛みを電気で治しているからね」とはぐらかした。
この時、この現場にも立ち会っていた関係者X氏は「実は猪木と大仁田の電流爆破(マッチ)は水面下で話が進んでいて、もうほぼ決まっていた。スポンサーはダイエーで福岡ドームで開催。猪木のギャラは5000万。スポンサー筋も含めてかん口令が敷かれ、公式に発表するまでは絶対漏れないようにと。万が一漏れたらご破算になりますよと通達されていた」。
当時の新日本プロレスの仕掛け人、故永島勝司氏は、後にYouTubeで「大仁田が再戦も要求していた。だからポシャった」と語っていたが…。
X氏は「それは新日サイド、永島さんの解釈でしょう。実現しなかったのは、大仁田が専門紙『週刊ファイト』にしゃべっちゃったからです。ファイトに出てしまったから潰れたんです」と明かした。
その後、大仁田がいくらアピールしても猪木がOKしなかったのは〝信用問題〟だった。あげく、永島氏は新日プロを離れてしまい、以後、大仁田との交渉人がいなくなっては実現する手だてはなかったのだ。
ところで、多摩川河川敷では、意外な〝大物〟との番外戦も勃発していた。
大仁田は猪木に「レスラーとしてお願いです。(疑惑は)全部違うと言ってください」と訴えかけた。
「スポーツ平和党」党首で参院議員だった猪木は、前年の93年5月に公設秘書だった佐藤久美子氏から「週刊現代」紙上で、所得税還付金の不正取得による脱税工作の実態と、3億円に及ぶ巨額の税金滞納疑惑を告白された。連日ワイドショーをにぎわせ〝金銭疑惑〟が疑われていた。
大仁田の訴えに猪木は、「くだらない国民が…。あっ、こんなこと言うと怒られちゃうなあ」と〝くだらないマスコミ〟と言うところを〝くだらない国民〟と失言してしまう。
これにかみついたのがスタジオで見ていたハマコー。〝政界の暴れん坊〟と呼ばれた浜田幸一元衆院議員だ。ハマコーは「国民がくだらないとは何だ! お前の方がよっぽどバカだ。猪木、かかってこい。許さない」とかみついた。
猪木の耳には届かなかったが、4日の試合後、ドームから打ち上げ会場の後楽園飯店に向かう猪木を東スポ社会班のT記者が直撃すると「ハマコーさんは他の政治家と違うやり方で政治をしてきた人だから、尊敬はしています」と、まずは浜田氏を立て「でも、ちゃんと昨日テレビで『国民をバカと言ってはいけませんね』とフォローしているのに、最後まで人の話を聞いていない」と反論。「なにバカだって? 人の話していることを聞けないんじゃボケてるんじゃないの。ボケじじいハマコー!」と激怒した。
ハマコーは政治家・大仁田も怒鳴りつけていたのは、よく知られた話だろう。05年(平成17年)8月8日、参議院での郵政民営化法案の採決に棄権した大仁田は、国会議事堂からテレビ朝日系「ワイド!スクランブル」に生出演した。スタジオのハマコーから「あなたもスポーツマンだから議決権の行使をしない者は議員の資格はない。それだけ言っとくわ。投票して反対なら反対、きちんと明確に意思表示するのが長崎県代表の務めでしょ」と採決を棄権したことをとがめた。
大仁田はハマコーに「でも、僕は〝小泉さんの子供〟ですから、青票入れて親を裏切れるんですか? (声高に)僕には裏切れなかったんですよ!」とカメラに向かって激高。これにキレたハマコーは「何、怒鳴ってるんだよ。何でお前がそこで怒鳴るんだよ!」と一喝した。
昭和ならではの強烈な政治家だった。猪木 vs ハマコーは、その後どうなったのだろう…(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る